
神域で揚がる、祈りのような天ぷら
てんぷら 成生
「静岡が誇るサスエ前田魚店・地元生産者との連携と、研ぎ澄まされた揚げの技術が融合した、神社境内に佇む天ぷらの最高峰。」
高宮慎一
ライター静岡市の浅間神社の境内に、その店はある。徳川家康も訪れたとされる神社の、凛とした空気の中に。
神社の空気が、料理の品格と重なる
てんぷら成生、店主は志村さん。 素材との対話、2つの鍋を使いこなし油を移動する動作、油の温度を読む目・耳、揚げる所作、、、まるで神に捧げる儀式、祈りのようだ。

素材と技術が、互いに妥協しない
成生の天ぷらを語る時、サスエ前田魚店の名は外せない。静岡を代表する魚店であり、全国の料理人が一目置く仕入れ先だ。そこから届く魚介は、鮮度と状態の水準が違う。地の生産者が丁寧に育てた野菜も同様で、素材自体がすでに完成に近い状態で厨房に届く。
そこに志村さんの火入れが加わる。

一口かじった瞬間、衣の内側から湯気が立つ。香りが鼻に抜ける。続いて素材の水分と旨みが、あふれ出してくる。衣はその全てを閉じ込めるために存在している。ただ揚げているのではなく、素材の内側で何かを起こしているような仕事だ。

素材と技術、双方が一歩も引かない。その緊張感を経て、カウンターの上に提供されるときには一体となり響宴している。


天ぷらの輪郭が、書き直される
天ぷらに対して持っていた像がある。揚げ物であり、衣があり、タレや塩で食べる。そういう料理だと思っていた。
成生で食べると、その像がずれる。

衣の質感は均一ではなく、素材ごとに異なる。薄く軽い場合もあれば、素材の形状に沿ってしっかりとついている場合もある。油の温度はもちろん浸す量も、一品ごとに変えている。同じ「揚げる」という行為の中に、これほどの選択肢があるとは思っていなかった。


既成概念を変える、という言葉を軽々しく使いたくない。だが、ここでしか食べられないものが確かにあった。サスエ前田魚店という静岡の地の底力と、志村さんという料理人の技術が正面からぶつかり合い、それでいてひとつの料理として成立している。そのことが、皿を返した後も頭から離れない。



浅間神社の境内という場所の選択も含めて、成生という店は一切の妥協を拒んでいる。それは食べ手にとって、圧力のような体験だ。次に訪れた時、自分は何を感じるだろうか。その問いがある店を、私はいつまでも必要としている。
店舗情報
てんぷら 成生
静岡県静岡市日本、〒420-0861 静岡県静岡市葵区丸山町12−2
