「前」という一文字の深謀
蕎麦前 山都(六本木ヒルズ)
「居酒屋で蕎麦を食べるのか、蕎麦屋で酒を飲むのか。そのコンセプトに玄人の企みを見る」
「蕎麦前」と名乗ることの、恐ろしいほどの戦略性
年をとると、蕎麦が食べたくなる
ここ数年、気づけばラーメンを食べる回数がめっきり減って、蕎麦やうどんを選ぶことが増えた。それ自体は自然な変化として受け入れているのだが、蕎麦屋という業態には一つ、長年感じている不満がある。
友人とゆっくり飲みながら食事をしたい場面で、蕎麦屋は魅力的に映る一方で、実際にはなかなか選びにくいのだ。こだわりの蕎麦屋が魅力的な日本酒を揃えているケースは確かにある。しかし一品料理の数は少なく、どう考えてもゆっくり飲みたい人を歓迎する雰囲気はない。サッと食べてサッと帰る、という使い方を求められているような空気がある。蕎麦屋でじっくり腰を据えて飲む、という体験は、業態として実現されていそうでいて、実はなかなか実現されていない。
「蕎麦前」という言葉が担っているもの
六本木ヒルズにある「蕎麦前 山都 (やまと)」は、その店名が既にコンセプトの宣言になっている。
蕎麦の前に、つまみを食べ、酒を飲む。「蕎麦前」とはもともとそういう意味の言葉だが、それを店名に掲げることで、このお店が何を提供する場所なのかを、訪れる前から明確に伝えている。
メニューを見ると、天ぷらなど蕎麦屋らしい品々の隣に、刺身、串焼き、から揚げ、ポテサラといった居酒屋的な一品料理が並ぶ。ドリンクも、ビール、ハイボール、日本酒、焼酎、梅酒、ワインと幅広く揃っている。最後の「蕎麦」のパートを見なければ、普通の居酒屋のメニュー構成と大きくは変わらない。実態として、蕎麦を頼まずにつまみとお酒だけで過ごすことも十分に可能だ。
しかしこのお店を「蕎麦居酒屋」と定義してしまうと、本質を見誤る。
「蕎麦屋」と名乗ることの意味
このお店の手掛け人は、フェアグランド(なかむらグループ)の中村悌二氏だ。飲食業界では広く知られた存在である。
山都は決して自らを「居酒屋」とは名乗らない。あくまでも「蕎麦屋」であり、和食を前面に出す。この違いが、このお店の核心にある。
人は「居酒屋」だと認識してお店に入ると、そこで出てくる蕎麦に大きな期待を持たない。いくら「蕎麦にこだわっています」と打ち出されても、所詮は居酒屋の蕎麦だろう、と先入観が働く。フレーミングとはそれほど強力なものだ。
だからこそ山都は居酒屋的な機能を持ちながら、自らを「蕎麦屋」として定義する。しかし実際は、メニュー構成や接客、空間に至るまで、あらゆる面で居酒屋的な使い方へと誘導している。これによって、蕎麦自体の価値を毀損しないまま、居酒屋的な使われ方を実現している。食べる側の期待値を正しく認識した上で、実際の体験がそれに応えるという構造が成立している。
個人的に考えても、「居酒屋で飲む」は日常すぎて特別感がないが、「蕎麦屋で飲む」と聞くと、なぜかワクワクする感覚がある。業態のポジショニングとして、そのあたりの心理も巧みに突いていると言えよう。
「前」という一文字の重さ
家族での食事を想像してみると、このコンセプトの周到さが更に際立つ。
居酒屋に家族でご飯を食べに行こう、とはなかなかなりにくい。どれほどファミリーフレンドリーな居酒屋であっても、抵抗感がある人は少なくない。一方で、蕎麦屋に家族で食事に行くことは、ごく自然に想像できる。そしてその蕎麦屋で、父親はつまみを頼みながらゆっくりお酒を飲める。何という贅沢。同じ内容の食事体験でも、「居酒屋」か「蕎麦屋」かというラベルの違いだけで、使いやすさや印象がまったく変わってくるのだ。
また、一品料理やお酒を楽しんでいるうちに満腹になり、最後のお蕎麦まで辿り着けない、という事態が起きることもある(僕もたまにそうなる)。しかしその時も「蕎麦が食べられなかった」という余韻が残り、「次は必ず蕎麦を食べよう」という再訪への動機になる。蕎麦前の「前」という言葉には、主役は蕎麦であるという前提が埋め込まれている。お酒と一品料理をたっぷり楽しんでもなお、「まだメインを食べていない」という感覚を客に抱かせる設計だ。
店名のたった一文字「前」に、これだけの意図が込められているのだ。コンセプトの言語化という観点から見ても、これは相当に精度の高い仕事だ。
「突出した差別化がない」ことが、最大の差別化になっている
山都のメニューを眺めると、特別に際立った一皿があるわけではない。刺身もある、一品もある、つまみもある。どれかが強く前に出るのではなく、全体がバランスよく揃っている印象だ。
業態として考えると、これは実は非常に難しい仕事だ。単品業態であれば、その一つに集中して品質を上げることができる。とんかつであれば、考えるべきことはとんかつのクオリティに絞られる。やることがシンプルな分、突き抜けやすい。
しかし居酒屋的な業態で、複数の品目すべてを高い水準に保ちながら、全体として「バランスのよい体験」を作り上げるのは、その何倍も難しい。どこかに突出したものを作ることよりも、すべてを一定以上に保ちながら全体のバランスを整える方が、引き出しの数やセンス、そして店作りにおける総合力が問われる。
山都がそれを実現できているのは、メニューの一つひとつが「蕎麦」という軸に対して主張しすぎないからだ。刺身も一品料理も、あくまでも蕎麦前のつまみというポジションに収まっている。何かが突出することなく、全体が蕎麦屋という世界観の中に整然と収まっている。この設計は、たくさんの飲食店を見て、たくさんの経験を積んだ人間でなければ、なかなか到達できないバランス感覚だと思う。
模倣されにくい理由
飲食業界では、優れた店が現れるとすぐに類似した店が追随するのが常だ。コンセプトもメニュー構成も、模倣の技術は年々向上している。
しかしこのお店のような「塩梅のよさ」は、模倣が難しい。特定のメニューや内装を真似ることはできても、全体のバランス感覚を再現することはそう簡単ではない。それは数字や仕様書で表現できるものではなく、引き出しの多さと経験の厚みから滲み出るものだからだ。
特に突出した差別化要素がないように見えながら、実際には容易には模倣できない。これは業態設計の一つの到達点だと思う。大量出店や派手な話題性を持たなくても、長く繁盛できる店を作るという方向性として、圧倒的な説得力がある。多店舗化しにくいという側面はあるとはいえ、それ自体を戦略の一部として捉えれば、むしろ一店舗の価値を守ることにつながる。
蕎麦という軸を立て、大人にアピールするポジションを取り、居酒屋的な機能をその枠組みの中に自然に収める。コンセプトからメニュー、接客、雰囲気のすべてが一貫した方向を向いているというのは、言葉にすれば簡単そうだが、それを実際に形にするのがどれほど難しいか、飲食に関わっている人間ならわかるはずだ。
こういう仕事を見ると、この業界で長く続けることの意味を改めて考えさせられる。外食に関わる仕事をしている者であれば、いつかはこういうお店を作れる人間になりたいとも思う。
店舗情報
蕎麦前 山都(六本木ヒルズ)
東京都港区日本、〒106-0032 東京都港区六本木6丁目12−2 ヒルズ 六本木けやき坂通り 1階
