同業グルメ
百年の白湯が教えてくれること

百年の白湯が教えてくれること

水たき 玄海

その他10,000〜20,000円
東京都新宿区

創業100年近い新宿の水炊き老舗で、800羽分の鶏を8時間以上炊き上げた濃厚スープと広い純和風個室が揃う会食向きの一軒。

コンセプト商品ホスピタリティ空間価格
同業が嫉妬忘れられない
マイベスト

中村仁

飲食業界

株式会社グレイス

西麻布 豚組オーナー

中村仁

最高の水炊きは、新宿にある。

博多でも、九州の地でもなく、新宿区のはずれにひっそりとたたずむ「水たき 玄海」。まもなく創業100年を迎えるその老舗に、僕は幼い頃から連れられてきた。北九州から裸一貫で東京に出てきた祖父が、地元の人たちとよく集まるのに使っていた店だと聞かされていた。福岡から遠く離れた東京で暮らす人間たちにとって、故郷の味が食べられる場所がどれほど貴重だったか。そして今、その店を僕は大切な会食の場として使っている。祖父が通い、そして僕がまた通う。その事実だけで、この店がどれほどの時間を人々とともに過ごしてきたかがわかる。

祖父が連れてきてくれていたあの頃、その時点ですでに玄海は創業から50年以上を経ていた老舗だった。50年前の東京に水炊きの店がいくつあったか、今となっては確かめようもないが、おそらくほとんどなかっただろう。そこに100年近く、ずっと同じ場所に立ち続けていること。そのことの重さに、ときどき立ち止まって考える。老舗とはそういうものなのだ。何十年もの時間のなかで、人が変わり、街が変わり、それでも同じ鍋をひとつひとつ丁寧に仕立て続けた人たちがいた。

玄関の太鼓が迎えてくれる

店に入ってすぐ、目に飛び込んでくるのは巨大な太鼓だ。飾り物ではなく、実際に叩ける。幼い頃の僕は、祖父に連れられてこの店に来るたびに、その太鼓を叩くのが楽しみだった。見上げるような太鼓を叩くと、思いのほか大きな音が響いた。あの感触を、いい歳になってからも忘れていない。あれは単なる置物ではなく、来た人間に「ここは特別な場所だ」と伝えるための、言葉を使わない挨拶だったのかもしれない。

そして席へと通されると、まずその広さに言葉を失う。全席が純和風の個室になっていて、一間一間がとにかく広い。今の飲食店の設計では、到底ありえない広さだ。玄海の4名部屋の広さがあるなら、僕だったら8名部屋にする。それでも高級店として成立するだろう。それくらいの余白がある。採算のことを考えれば、坪数に対して席数を詰めるのが当たり前の発想だ。それをしていない。贅沢という言葉は、まさにこういう空間のためにある。

設えは、落ち着いた昭和の和室が当時のまま残されている。派手さはなく、奇抜さもない。新進気鋭のデザイナーが作るモダンな空間とは対極にある。だがこういう場所で向かい合うと、妙な駆け引きや小細工をする気が失せてくる。誠実に、ただ誠実に相手と話そうという気持ちになれる。そこが、この空間を会食の場に選ぶ理由のひとつだ。東京に、新宿に、こういう空間がまだ残っていること自体、奇跡的だと思う。

スープが主役という確信

若鶏800羽と水700Lを大きな鍋に入れ、8時間から10時間かけて炊き続け、最終的に100Lまで煮詰めるのだという。その凝縮度からどれほどの時間と火と手間がかかっているかが想像できる。その結果として出てくるのが、乳白色の濃厚なスープだ。

鶏肉が浮かぶ乳白色の水炊き鍋

飲食店経営者の一人として、手間のかかる仕込みがどれほどの覚悟を必要とするかは骨身に染みている。仕込みに時間をかけるということは、その時間分だけ人件費がかかり、光熱費だってかかる。コスト以上に大変なのは、それを来る日も来る日も何十年も続けるという継続の努力だ。その積み重ねを思うと、スープの一口一口の意味も変わってくる。

濃厚なのに決して重くない。飲み続けるほどに、味の奥行きが深くなっていく感覚がある。ニンニクを加えると味が締まり、あさつきを加えると香りが開く。スープの表情がいくつも変わっていく。肉もつくねも、もちろん丁寧に仕上がっている。でもここでの主役はやっぱりスープだ。肉はスープを引き立てるための存在、とすら言いたくなる。スープを飲み干してからも、まだ足りないと思う。それが何度通っても変わらない。それがこの店の水炊きだ。

あさつきを散らした乳白色の濃厚な水炊きスープ

福岡に行けばいくらでも美味しい水炊きが食べられる。博多の老舗も、地元に根付いた店も、それぞれに本気の仕事をしている。でも僕が今まで食べた水炊きの中で、玄海のスープを超えたものはない。これは贔屓ではなく、食べ続けてきた人間としての正直な感覚だ。

100年の積み重ねの前に

飲食店を続けるということは、毎日同じことを繰り返すということだ。同じ仕込みをして、同じ手順を踏んで、それでも昨日より少しよくしようとする。その積み重ねが、10年経てば店の地力になる。ではそれを100年続けたとき、何が残るのか。玄海に来るたびに、その問いと向き合う。 続けること。玄海が100年近くにわたって続けてきたのは、まさにそれだ。日々の労を積み重ねる。簡単に聞こえるが、これが一番難しい。 幼い頃に祖父と叩いた太鼓は、今もあの場所にある。それがどういうことなのか、子どもの頃には考えもしなかった。今はただ、その重みを静かに受け取りながら鍋を囲む。

閉店が早めの店なので、訪れる際は余裕を持って早めに出向いてほしい。ここではゆっくり過ごしてほしいから。時を重ねた空間と、急ぎ足では飲みたくないスープがあるから。

店舗情報

水たき 玄海

その他10,000〜20,000円

東京都新宿区日本、〒160-0022 東京都新宿区新宿5丁目5−1

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