
本国が忘れた広東の手
大珍楼 本店
「横浜中華街で本場広東料理の技を持つ料理人が腕を振るう、単品注文でコスパよく楽しめる大型中華料理店。」
有澤まりこ
飲食業界株式会社サンラサー
東新宿サンラサー / オーナーシェフ
横浜中華街に足を踏み入れるたびに思うのだが、あの通りの喧騒と煌びやかな看板の裏に、本当に恐ろしい料理をつくる厨房が静かに火を燃やしていたりする。大珍楼本店はそういう店だ。外からは大箱のオーダーブッフェ中華として認識されているし、実際そういう使われ方が多い。だがそこで止まってしまうのは、あまりにももったいない。
ブッフェの看板の奥にいる料理人
この店の厨房には、広東料理の名手がいる。それも今の時代には珍しい、オールドタイプの広東料理を手の内に収めた職人だ。本国の広東でさえ、いまやこういう料理をつくれる人間は少なくなっているという。技術の継承が途絶えかけた料理というのは、食べ手の側も忘れかけているから、出てきても気づかないことすらある。この店では、その料理が単品メニューのなかにちゃんと生きている。
ブッフェを頼みに来た人々がターンテーブルを回しているあいだ、単品で頼んだ海鮮料理が運ばれてきたときの落差は、なかなかに衝撃的だ。素材の扱いが違う。火の入れ方が違う。広東料理の海鮮というのは、素材の持ち味を殺さず、かといって生かしきるための技術を惜しまない。油の温度、鍋の振り方、仕上げのタイミング、そのひとつひとつが積み重なって、皿の上に着地する。食べながら厨房の動きを想像せずにいられないような料理だ。
中華の炊き込みご飯も頼むべき一品だ。日本の炊き込みご飯とは根本的に発想が違う。米に香りを吸わせる技術、具材の配置と火の通し方、蒸らしの時間感覚。食べ進めるうちに底のほうから香りが変わってくる。鍋底に薄くついたおこげの風味まで含めて、一皿として完成している。
冬に現れる山羊鍋のこと
季節の話もしておかなければならない。冬になると山羊鍋が登場する。これも広東料理の文脈に沿ったもので、日本の鍋料理とはまるで構造が異なる。山羊の独特の香りと出汁の深さが渾然一体となった鍋で、食べ慣れていない人間には最初に戸惑いがあるかもしれないが、その戸惑いが消えるころには箸が止まらなくなっている。こういう料理が横浜の街なかで、しかも比較的普通に注文できる状態で存在していることを、もっと多くの人間が知るべきだと思う。
予算を渡して、あとは任せてしまえ
この店の使い方として、経験から言うと最も賢いのは予算と苦手なものを最初に伝えて、あとはお任せにすることだ。8人ほどで腰を据えてしこたま頼んでも、ひとり8000円を超えないくらいの水準に収まる。それだけの料理の量と質を考えると、この価格帯は業態として真剣に考えさせられるものがある。
カレーやインド料理のように、スパイスの積み重ねで味の輪郭をつくる料理を生業にしている者として、広東料理の「引き算と火」の哲学はいつも刺激になる。素材に何かを足すよりも、邪魔なものを取り除いて熱だけで仕上げるという発想は、向かっている方向こそ違うが、料理の本質をどこに置くかという問いにおいて、確かに重なるものがある。大珍楼本店の単品料理を食べると、その問いがまた鮮やかに立ち上がってくる。中華街の大箱店だからと素通りするのは、本当に惜しい。
店舗情報
大珍楼 本店
神奈川県横浜市〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町143
