同業グルメ
新人と見上げる、あの厨房 目黒『とんき』

新人と見上げる、あの厨房 目黒『とんき』

とんかつ とんき 目黒本店

とんかつ
東京都目黒区

創業80年以上、熟練スタッフの無駄のない所作と厨房の一体感が圧巻のとんかつ老舗。

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同業が嫉妬
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最後の晩餐に

Paul神田

ライター
Paul神田

目黒の坂を下りながら、この店のことを考えていた。初めて訪れたのはずいぶん前のことだが、あの空間の記憶は妙に鮮明に残っている。何がそうさせるのか、ずっと言語化できないままでいた。

カウンターという名のステージ

とんき目黒本店に足を踏み入れると、まず空間の構造に目が止まる。大きなコの字型のカウンターが店の中心を占め、その内側で職人たちが動いている。客席から厨房がそのまま見える。遮るものが何もない。客は料理を待ちながら、揚げる音を聞き、油の香りを受け、手際を目で追う。外食の場でこれほど厨房が「開かれている」店は、東京でもそう多くはない。

この構造が何を意味するか、少し立ち止まって考えてみると面白い。厨房を見せるということは、プロセスをすべてさらすということだ。段取りの粗さも、職人の迷いも、何もかもが見える。それでもこの店がその構造を何十年も変えていないのは、見せることに耐えうる仕事が日々当たり前に続いているからだ。

職人たちの動きは、きびきびしている。その一言に尽きるといえばそうなのだが、「きびきびしている」という言葉が指し示すものを、もう少し細かく見ていく必要がある。無駄がない、というのとは少し違う。無駄がないというのは効率的という意味に近いが、この店の動きにはそれ以上のものがある。各人の動きが他の動きと干渉しない。誰かが揚げ物に集中しているとき、別の誰かが盛り付けを進め、またある誰かが次の仕込みに入っている。リズムがある。音楽のように、それぞれのパートが独立しながら全体として一つの演奏になっている。それを「ステージ」と感じるのは、おそらく正確な認識だと思う。

火入れと衣の、静かな主張

料理そのものについても書いておかなければならない。

とんかつが運ばれてくる。衣の色が均一で、表面の粒立ちが細かい。揚げたての熱がしっかりと残っているのに、油っぽさが少ない。高温の油で短時間というより、温度を管理しながら時間をかけた揚げ方だと推察される。衣の中の肉は、ピンク色がわずかに残る程度の火入れで、断面を見ると肉汁が逃げていない。箸で押したときの反発がある。あの弾力は、適切な温度管理と、休ませる時間が確保されていなければ出ない。

キャベツの千切りは細い。エッジが立っている。千切りの粗さや雑さはすぐに目に見える形で料理の質感を落とすが、この店のそれは最後まで形を保ったまま皿の上に存在している。みそ汁は豚汁に近い仕立てで、具が多く、重心が低い。とんかつとの組み合わせを考えると、こちらの方が食事としての密度がある。

食べながら、何度か手を止めた。「止めた」というのは、次の一口を急がなかったということだ。料理に対してではなく、目の前で起きていることの全体に対して、もう少し時間をかけたくなった。

それぞれが持ち帰るもの

この店に初めて来た人間が何に気づくかは、その人が何を見ようとしているかによって変わる。ある人は職人の包丁の角度を見ているかもしれない。別の人は声がけのタイミングを聞いているかもしれない。揚げ油の状態を観察している人もいるだろうし、カウンターの拭き方に目が行く人もいる。

それぞれの観察が異なる、というのは当然のことのように聞こえるが、実はそうでもない。同じ空間を見ていても、自分の経験と問題意識によって、見えるものが根本から変わる。この店はその多様な観察に耐えられるだけの情報量を持っている。どの角度から見ても、何かが返ってくる。それは単純なことではなく、長い年月をかけて積み重ねられた仕事の密度が、そういう場を作り上げているのだと思う。

ただ、観察の出発点が何であれ、ほぼ全員が共通して受け取るものがある。冒頭に書いた「きびきびした動きのあるステージ」という感覚だ。これは見た人が自然にそう言葉にする。ということは、それが意図的に作られているかどうかはわからないが、少なくとも確実に伝わっている。伝わるということは、それが本物だということだ。

勝てる気がしないということ

「勝てる気がしない」という言葉が自分の中にある。これは敗北感とは違う。こちらが相手に及ばないという感覚でもない。もっと静かで、もっと正直な感覚だ。

この店がやっていることは、とんかつを揚げて、出して、片付けて、また揚げることだ。それだけだ。それだけのことを、何十年も、ほぼ変えずに続けているけど。その継続の重さを前にすると、「勝てる気がしない」という感覚は出てくる必然がある。派手な仕掛けも、新しい技法への更新もない。あるのはただ、同じことを同じように高い水準でやり続けるという、言葉にすれば簡単だが実行するとなれば極めて困難なことだ。

目黒の坂を上りながら、しばらく何も考えなかった。何かを考えようとすると、あの厨房の中の動きが浮かんできて、それ以上の言葉が出てこなかった。

店舗情報

とんかつ とんき 目黒本店

とんかつ

東京都目黒区〒153-0064 東京都目黒区下目黒1丁目1−2

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